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いけばな時々日記

2020/06/19 Why と How

▲どのように「いけばな」をするかという方法論の問いは、

何のために「いけばな」をするかという目的についての問いの後に付属する。

では、何のためにしているかというと、意地でしかないと思うこともあれば

何かが発見できそうな予感がすることもあるが、

何となく続いてきたというのが本当のところで、

あまり強くWhyを意識すると、生きていることもしんどくなる。

だからと言って、あまりHowにこだわるのもしんどい。


2020/06/01 象徴するいけばな

▲いけばなは自然を模倣するものではない。

自然を象徴するものだと思っている。

野にある花の姿や周辺の様子を「野にあるように」いけるのではなく、

野にあった花の姿や様子、あるいは全植物のありよう、

そして、野にあるすべてのもの、大げさに言うと地球の未来も、

いけばなを見たすべての人がそれぞれの感受性で想起できるように

「(花が主語ではなく、私自身が私の描く世界としての)野にあるように」

いけられるようになるのが目標だ。


2020/05/23 意識と手(2)

▲手がうまくなることが「上手」になることなので、

やはり「上手」は目指さなくてはいけないけれど、

やっぱり私はアタマでっかちが拭えないんだなあ。

▲特化×異化で、どこかユニークさを求めてしまうのだった。


2020/05/21 意識と手(1)

▲いつも何かを考えている。それが行動に表れる。

いつも意識していることが、いけばなにも表れるはずだ。

▲ところが、大抵、思うようないけばなにならないのは、

手の技術が意識に追い付いていないことが原因だ。

いつも意識を優先し過ぎなので、ひとまず目の前の花から始めよう。


2020/05/20 喜びと哀しみの同時表現

▲バラの茎を少し傾けてみると、喜ばしい表情が少し哀しくなる。

半音下げたマイナー基調の音楽みたいに。

▲青いバラを手に入れた。

まえに十数本の青いバラをいけたときよりも、凛として見えた。

光を宿しつつ伏し目がちないけばな、というものを手にしたい。



2020/05/12 「いけばな」による空間の分節

▲連続し、持続する日常に感動はない。

始まりも終わりもない時間を一部抜き出して認識しづらいからだ。

演劇は持続を切り分け、場面と場面を幕で区切り、見せ場をつくる。

▲いけばなの空間は、絵のように額縁に入っていないので、

うっかりすると連続した部屋空間の一部だ。

床の間だったら、空間の仕切りがあるけれど、

リビングルームでは幕で区切るわけにもいかない。

ある種の彫刻のようにマッスで表現すれば事情が少しだけ変わるが、

空間を生かしたいけばな作品は、どこまでの空間がいけばななのか?

逆に、まわりの空間に飲み込まれてしまいそうで怖い。


2020/05/10 「いけばな」はクリエイティブ

▲クリエイティブは楽しい。だけど、

何をやってもいいとき、苦しい。


2020/05/04 「いけばな」をプロセスで魅せられるか

▲街なかで芸を見せる大道芸人や、

祭りの日の芝居小屋の見世物は凄かった!

▲延々と準備を見せたり、呼び込みの口上が面白くてかぶりつく。

で、投げ銭したり前金の入場料を払う。

ところが、どっちもゴールを見せることなく終わるんだな!

しかし、客の誰も不満を漏らさない。


2020/05/03 「いけばな」の作為

▲ずっと前のこと。

さくらももこの「踊るポンポコリン」の歌詞が話題になっていた。

……エジソンはえらい人

……キヨスクは駅のなか

▲作為がないから、破綻もないんだよねー

と、作曲の織田哲郎さんが言っていた。


2020/05/01 「いけばな」と「はないけ」

▲いけばなの教室でシェアしたいのは、いけばなの技術もあるけれど

「はな」を「いける」行為の

むこう側に見える景色とこちら側に持っているマインド。

▲いけばなで右脳が活性化される……などと言っていた頃もあって

それは嘘ではない。

なぜ活性化するのかというと、その空間に右脳を刺激する人がいたから。

いけばなは「はな」とのコミュニケーションである以上に、

「はないけびと」同士のコミュニケーションが面白い。

いつも静かにエキサイトさせてくれる。

ひとりでいけるのは、ちょっと寂しい。


2020/04/29 「いけばな」は消費する文化

▲服を買う消費。服が残る。

肉を買う消費。肉は残らないが、腹に入って体をつくる。

花を買う消費。花は残らないし、作品も枯れるし、写真しか残らない。

写真以外に何が残るのか見つけられた人はまた花を買うし、

その花と時間を消費して何かを得た気分になるが、

何を得られたか明言できる人は多くない。

▲消費のしかたに文化は表れるもので、

生産の現場では文化が嫌われ者の役を演じることがままある。